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エルヴィス・プレスリーってどんなひと?

1954年夏に、テネシー州メンフィスで、地元のラジオ局WHBQDJデューイ・フィリップスが、曲に持ち込まれたアセテート盤(サンプル盤みたいなもの)を流したところ、開局以来の数のリクエストや問い合わせがきました。

そのアセテート盤は、エルヴィス・プレスリーの「ザッツ・オールライト」でした。B面は「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」。

Elvis Presley. By © Bettmann/CORBIS.

 

大反響にともない、ラジオ曲は、その夜にエルヴィス・プレスリーを探し出して、ゲストに招きました。

みんなエルヴィス・プレスリーに会うまで、彼の歌い方が、黒人歌手のようだったので、黒人歌手だと思っていて、白人であることに驚いたそうです。

「ザッツ・オールライト」は、1週間で5千枚を売り上げ、ローカルチャートで1位を記録しました。

 

エルヴィス・プレスリーは、193518

深南部ミシシッピ州テュペロの貧しい白人の家に生まれました。

敬虔なクリスチャン(キリスト教プロテスタント信者)として育てられました。

黒人居住区に隣接していたため、小さい頃から、黒人の教会に通って、聖歌隊でゴスペルを歌っていました。

11歳でギターを買ってもらい、その頃から音楽的才能に溢れていました。

13歳で、家族でテネシー州メンフィスへ移住します。

18歳で、トラックの運転手として働き始めました。

 

1957718

初めての給料でメンフィスのレコーディングサービスを行います。お母さんへのプレゼントとして自分の歌をレコードしました。

曲は、「マイ・ハピネス」インク・スポッツ作(その当時ポピュラーなバラードでした)

 

195414

自主制作にスタジオを訪れたエルヴィス・プレスリーは、サン・レコードの創設者のサム・フィリップスの目にとまりました。

サム・フィリップスは、黒人のR&Bが白人の若者に受けているのを早くから肌で感じていて、黒人のように歌える白人シンガーを探していたところでした。

公民権が施行される前の1950年代のアメリカは、人種隔離的な部分があり、当時のロックンロールのヒットソングも、黒人の曲を白人がカバーし、それが白人向けに宣伝され、チャートに、そしてラジオで流されていました。同じ歌を同じ編曲で歌っても、黒人が歌えば、R&B、白人が歌えば、カントリー&エスタンと呼ばれていました。

 

エルヴィス・プレスリーの才能に惚れ込み、ギターにスコッティ・ムーア、ベースにビル・ブラックを起用して、7月に「ザッツ・オールライト」をレコーディングしました。アセテート盤は地元のラジオ局WHBQDJデューイ・フィリップスの元に持ち込まれ、「ザッツ・オールライト」は、1週間で5千枚を売り上げ、ローカルチャートで1位を記録しました。

 

19547月には、ライブ活動を開始。

9月には、「グッド・ロッキン・トゥナイト」を2枚目のシングルとして発表。

 

19554月には、トム・パーカー大佐とマネジメント契約をし、本格的に活動を開始しました。

 

1955513日のフロリダ州ジャクソンヴィルのライブでは、熱狂した観客がステージに押し寄せて、プレスリーの衣装が破かれる騒動が起こりました。

7月には、「ビル・ボード」のカントリーチャートで「ベイビー・レッツ・プレイハウス」が10位になります。

8月には「ミステリートレイン」リリースを最後にサン・レコードから大手レコード会社のRCAへうつりました。