サイトーク

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白人ロッカーのビル・ヘイリーの功績

後半★9:00〜END

20 - Bill Haley

ビル・ヘイリー(ウィリアム・ジョン・クリフトン・ヘイリー)

ミシガン州ハイランド・パーク(デトロイトの近く)で生まれます。

1940年代から活躍していましたが、R&Bの色を強め1951年ザ・サドルメンというバンドで「ロケット88」でレコードデビューしました。

「ロケット88」は、ジャッキー・ブレンストンのカバーです。


1952年「ロック・ザ・ジョイント」が中西部でヒットしました。
1953年 ザ・サドルメンからコメッツにバンド名を変更しました。7月には「クレイジーマン・クレイジー」で全米チャート15位になりました。

1954年6月「シェイク・ラトル・アンドロール」でトップテン入りをします。

「シェイク・ラトル・アンドロール」はジョーターナーによって大ヒットしたカバーでしたね。

このあと、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がヒットしました。

 
ビル・ヘイリーは、R&Bを早くから積極的に取り上げて、ヒットさせようとしました。

オリジナルよりテンポを上げたり、白人が受け入れやすいように歌詞を変えたりしていました。

 
1956年「ロック・アラウンド・ザ・クロック」「ドント・ノック・ザ・ロック」の映画で主演を務めました。

しかし、もう若者の年齢ではなく、あまり好評ではありませんでした。

「ロック・アラウンド・ザ・クロック」によって、ロックンロールは、白人シンガーが歌う音楽として、広く認知されるようになりました。

ビル・ヘイリーはロックンロールが、人種の壁を超える上で、触媒のような役割を果たしたのです。