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1950年代のイギリスの音楽とは?

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1950年代のイギリスでは、アメリカのポピュラーミュージックの影響が、圧倒的でした。

アメリカでR &Bやロックンロールが盛り上がり始めると、イギリスも大きく影響されました。

 

1950年代はじめには、カントリー&ウエスタンが入ってきました。

 

19551月にビル・ヘイリーがカバーした、「シェイク・ラトル・アンド・ロール」がヒット。アメリカでは1954年6月にトップテン入りをしました。

また、「シェイク・ラトル・アンド・ロール」は、ジョーターナーの曲で、全米大ヒットした曲でした。

 195510月『暴力教室』が公開され、主題歌であるビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・ロック」が大ヒットしました。

イギリスでも、若者が映画館に殺到して、曲に合わせて踊りまくり、暴動のような状況になることもあったようです。

 

19554月ジョニー・レイがイギリスツアーを行ない、若い女性を熱狂させていた。

 

アメリカでは、この流れの中で、エルヴィス・プレスリーが登場して、ロックンロールが大ブレイクしたのですが、イギリスはここから違います!

 

19562月にロニー・ドネガンのスキッフルナンバー「ロック・アイランド・ライン」がヒットします。

5月には、全米チャートでも10位のヒットをします。

6月には「ロスト・ジョン」が大ヒットします。

 

これが、きっかけになって、スキッフルブームがイギリス全土で起こることになります。

 

ちなみに、ロニー・ドネガンは、1962年の6年間で、30曲以上のヒットを飛ばし、アメリカでも3曲をヒットさせました。

 

スキッフルとは?

安物の生ギターさえあれば、木製の箱に弦を張ってベースにしたり、洗濯板をパーカッション代わりに使うなどして、演奏を楽しむことができました。

そうそう手軽さがあったんですね。

イギリスでは、たくさんのスキッフル・バンドが結成されました。

最盛期には、5千組以上がいました。

レパートリーは、レッドベリーやウディ・ガスリー(ピート・シーガーとオールマナック・シンガーズやウィーヴァーズを組んでいましたね)のフォークソングやロニー・ドネガンのヒット曲などでした。

その中には、のちのビートルズの前身バンドである「クオリーメン」などもいました。

 

しかし、1番影響を与えていたのは、エルヴィス・プレスリーでした。

19563月に「ハートブレイク・ホテル」がイギリスでも発売され、最高3位のヒットを記録します。

アメリカでは1月に発売していました。

そのあとも、「恋にしびれて」が大ヒットする。 

それを受けて、チャック・ベリーやボ・ディドリー、リトルリチャードらの黒人ロックシンガーも、次々にとイギリス進出を果たしました。

 

イギリスのレコード業界でも、イギリス版プレスリー探しが始まります。

最初に注目されたのは、トミー・ヒックスでした。10代のシンガーで、ロンドンのクラブでいち早くプレスリーの曲を歌っていました。

1956年10月にデッカ・レコードからトミー・スティールという名前で、「ロック・ウィズ・ザ・ケイヴメン」でデビューしました。

1957年1月「シンキング・ザ・ブルース」で大ヒットを飛ばし、イギリスで最初のロックアイドルになりました。「イギリスのプレスリー」として大々的に売り出されました。

そして映画では『ザ・トミー・スティール・ストーリー』や『「ザ・デューク・ウォー・ジーンズ』に主演をして人気を博しました。

 ほかには、マーティー・ワイルドやビリーフューリーが、テレビ番組の『6・5スペシャル』『オー・ボーイ!』『ボーイ・ミーツ・ガール』などの出演を果たし、ロックアイドル界をにぎわしました。

 

19572月には、イギリスのBBCテレビでも、ロックンロールやスキッフルを紹介するバラエティ番組の「six・five Special」の放送が開始されました。

この番組が、ロックンロールがイギリス全体に広まるきっかけになりました。

1957年11月には、バディ・ホリー&クリケッツの「ザットル・ビー・ザ・デイ」が大ヒットしました。

1958年には、ジェリー・リー・ルイス、エヴァリー・ブラザーズもヒットを飛ばします。

 

こうしてイギリスにもロックンロールの黄金期がやってきました。

 

イギリスとアメリカでの違いという点では、イギリスにはアメリカほど深刻な人種差別の問題は存在しなかったため、黒人の音楽としてのR&Bのさまざまな社会問題は、ひとまず、捨て去られ、純粋に音楽の新しいスタイルとして発展していきました。