サイトーク

saitoiの語れるだけ語るブログ。ジャンルは★ロック★映画★文学★

お茶の間はほぼエルヴィスプレスリーを見てたってゆう話

エルヴィス・プレスリーは、1956年6月5日『ミルトン・バール・ショー』というバラエティ番組に出演。

この時に、歌ったのは、ビッグママ・ソーントンが1953年にヒットさせていた「ハウンドドック」でした。

「ハウンドドック」は、もともとは黒人のスラングで、「浮気男」の意味でしたが、プレスリーは、上流階級を揶揄する歌詞に変えて歌いました。

このときの、ショーパフォーマンスが、セックスアピールっぽく衝撃的だったため、テレビ局に「扇情的だ」と、苦情が殺到しました。

1956年7月1日には『スティーヴン・アレン・ショー』に出演。激しいお茶の間の批判をかわそうと?テレビ局の要請で、プレスリーは燕尾服を着て、犬の前で歌わされました。その映像がこちら!


ELVIS PRESLEY on THE STEVE ALLEN SHOW 1956 "Hound Dog"

 

しかし批判は止まることもなく、若者の熱狂も収まることがありませんでした。

視聴率は、55%という驚異的な数字を叩き出しました。

ここで目をつけたのが、『エド・サリヴァン・ショー』というバラエティ番組のパーソナリティのエド・サリヴァンでした。

『エド・サリヴァン・ショー』は、何度か出てきていますが、実は、当時最も大きな影響力を持ち、一流アーティストへの登竜門的な番組でした。

他のアーティストでも、『エド・サリヴァン・ショー』にでて、有名になっていきましたというストーリーもうなずけますね

最初、サリヴァンは、お茶の間の「良識派」を代表するふるまいで、「卑猥なエルヴィスのようなシンガーは出演させない」と言っていたが、『スティーヴン・アレン・ショー』の視聴率を見て、3回の出演契約をエルヴィス・プレスリーとしました。

9月9日に『エド・サリヴァン・ショー』に出演。視聴率は、82.6%でした。

ほぼ観ていたってことですね。


Don't Be Cruel - Elvis Presley | The Ed Sullivan Show (1956) [HD]

この視聴率は、アメリカ国民が

プレスリーに注目していたのか、そして彼の歌やパフォーマンスが、衝撃的で、常識を揺るがすものだったのか、を示していました。

もちろん、批判は殺到しました。そこで、翌年1月6日の3度目の出演時は、扇情的な腰の動きを写さないようにカメラが上半身だけを撮り続ける自主規制で対応しました。


The Ed Sullivan's Rock 'n Roll Classics. Elvis Presley. 6-1-1957.

 

また、プレスリーの ライブでは、「ハウンドドック」での犬のぬいぐるみを使ったアクションが犬とのセックスを連想させるとして問題にされました。

ロサンゼルス公園では、警察が、本気でわいせつ罪で逮捕しようとし、警官の監視下で公園が行われます。(プレスリーはパフォーマンスを自粛)

こうして、プレスリー、ひいてはロックンロールが大きな社会問題になっていきました。

 

プレスリーは1956年9月の『エド・サリヴァン・ショー』出演から1958年3月まで、ほぼ2年間、快進撃を続けます。

「冷たくしないで」1956年9月から10月の7週連続全米ナンバーワン

「ラブ・ミー・テンダー」1956年11月から12月の2週連続全米ナンバーワン

「オール・シュック・アップ」1957年4月から6月の8週連続全米ナンバーワン

「テディ・ベアー」1957年7月から8月の 7週連続全米ナンバーワン

「監獄ロック」1957年11月から12月の6週連続全米ナンバーワン 

「ドント」1958年3月1週連続全米ナンバーワン

 

1956年12月29日付けの全米チャートには、エルヴィス・プレスリー曲が10曲もランクインする。

1956年4月に、映画プロデューサーのハル・ウォリスと3本、45万ドルで映画の出演契約を結びました。

1956年11月初の主演映画『ラブ・ミー・テンダー』がニュウヨークで公開されヒット。

1957年『ラヴィング・ユー」(「テディー・ベアー」をフューチャー)

『監獄ロック』が公開されました。

このころのエルヴィス・プレスリーは多忙を極め、仕事をこなすために、ベンゼリンなどの薬物を使うようになり、早くも肉体は蝕まれていきました。

当時、ミュージシャンはアーティストではなく、1つの商品として扱われている時代でした。