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saitoiの語れるだけ語るブログ。ジャンルは★ロック★映画★文学★

1950年代の共学闘争とは?

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1954年

最高裁が公立学校の分離教育を憲法違反として是正を求めたにもかかわらず黒人と白人の共学は一向に進む気配はなくむしろ南部では公民権運動に対抗する組織作りが進められていました。

1954年7月白人市民会議が設立されるこれは深南部のミシシッピ州で人種差別主義に基づき白人支配を維持するためのものです。

 

1955年12月

白人市民会議の連合体を結成しますこうして公民権運動に対抗する全国的な組織が誕生しました。

メンバーは白人優越思想の連邦議会の南部議員知事、市長、判事、弁護士、実業家といった支配者たちでした。

連邦議会の上下両院議員の南部出身者96人が、1954年の最高裁判決を司法権乱用だとし、「南部宣言」を発表し連邦政府に対し公然と反旗をあげました。

こうした中、南部一帯ですすめられていた黒人による共学闘争が白人組織の暴力的抵抗にあうことになります。

 

1956年2月 アラバマ大学に入学した女子大生は3日間の大学生活!

黒人として初めてアラバマ大学に入学した女子学生が1000人を超える白人学生や市民の投石や妨害行動などで投稿妨害されました
そして三日間しか通学できないと言う事態に陥りました

 

1957年9月 州知事が黒人の入学を阻止!vs.大統領!

アーカンソー州のリトルロックで9人の黒人生徒がそれまで黒人が入学を認めていなかった高校入学しようとしたところ白人集団から妨害を受けます。
州知事は治安の維持を理由に黒人の入学阻止を宣言。武装した州兵を送り込んで学校包囲させると言う事件が起こっていました。
アイゼンハワー大統領は1957年9月のアーカンソー州の反乱に対して非常事態を宣言。連邦軍を派遣して実力行使で黒人生徒の入学を実現させようとしました。

この連合体は黒人の差別撤廃運動を妨害する中心の組織としてその後も長く活動することになります。

黒人による白人との共学闘争は、ロックンロールを10代の若者たちにとってはきわめて身近な問題でした。
既にロックンロールを通じて人種の壁を乗り越え始めていた若者たちにとって同じ音楽を同じ気持ちで聞いている黒人の若者を差別しなければならない理由はありませんでした。

強く反対しているのは親であり教師であり地域を支配している政治家や聖職者たちでした
しかし南部の白人社会全体が人種差別を当然のことと考えている中で若者たちは自分の意思を積極的に表明したり行動にうつしたりするほどの意識を持ち合わせてはいませんでした。
まだまだ若者たちが、この社会問題について声を上げるのは時間が必要でした。

 

1957年1月30日

国連総会で南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策に反対する決議が採択されます。
アフリカ諸国が次々と独立を果たし国際的発言を強めるなかで、アメリカの公民権闘争もアメリカの国内問題ではなく世界全体の問題だと広がりつつありました。