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小野不由美『風の万里 黎明の空』|あらすじ・感想

十二国記シリーズ 4 風の万里  黎明の空 上下巻セット (新潮文庫)

あらすじ

陽子が景王となって1年、玉座にありながら冢宰の靖共ら官吏の顔色をうかがう自らの姿に苦悩を感じていた。

特に皆がいつも自分に対して平伏する事については、

自分が通りかかる度に相手の仕事の手が止まる不合理さに悩み、

相手の顔が見えない事に少々不信と恐怖を感じていた。

そんな中、太師に謀反の疑いが掛けられ、

陽子は靖共の言うがまま謀反に関わったとされる人を処罰し、

監督責任を怠ったとして靖共を太宰に降格、

政治の実権を握らせるべきではないとされる景麒に

「自分よりこの国のことが分かっているから」と

次の冢宰が決まるまでの間として実権を握らせた。

そして陽子は、この世界の理も、国情も知らない自分に憤りを感じ、

自ら市井に降りることを決意する。

景麒の勧めにより遠甫という老人のもとで理を学ぶこととなるが、

和州で暴政が行われているという噂を確かめに

和州に出かけた間に里家が襲われ遠甫がさらわれた事から虎嘯らと出会い、

和州の乱へと繋がっていく。

大木鈴はその100年ほど前に蓬莱から流されてきた海客である。

長く才国の飛仙・梨耀から執拗な虐めを受け続けていたが、

決死の覚悟で采王に申し立て自由の身となった。

女性・海客でありながら王となった景王に興味を持ち

慶国を目指す道中で清秀と出会い、

妖魔から受けた怪我で衰弱していく彼を支え共に慶国にたどり着くが、

彼は慶国和州止水郷で郷長・昇紘の馬車に轢殺されてしまう。

自暴自棄となり、郷長・昇紘を庇う者の最上位にある景王を暗殺しようと

才国の遣いを装い王宮に入る鈴であったが、

景王不在の為その機会さえなく王宮を去る。

虎嘯らと出会い宥められ、打倒昇紘の郎党に加わることとなる。

祥瓊は先の芳国の公主であったが、謀反によりその地位を失い、

里家での貧しい暮らしや恭国での屈辱的な仕打ちが耐えられず出奔する。

自分と同じ年頃で王宮に入った景王を妬み、逆恨みし、簒奪してやろうと

慶国を目指していたが、道中で楽俊と出会ったことで考えを改めた。

慶国の実情を知り、桓魋たちと出会った祥瓊は、

呀峰討伐、和州の乱に身を投じることとなる。

陽子・虎嘯・鈴らは打倒昇紘を掲げ郷城へと乗り込む。

郷城への突入は成功したが、呀峰は昇紘を庇うため州師を派遣する。

州師相手では圧倒的に勢力の劣る虎嘯らであったが、

桓魋・祥瓊らの加勢により戦況は一転する。

しかし、続いて派遣されたのは王直属の禁軍であった。

呀峰もまた靖共に庇われていたのである。

王師(王が指揮権を持つ禁軍と首都州師の総称)を

目の当たりにして動揺する人々の中にあって陽子は鈴と祥瓊の話を聞き、

王としての責任を確信すると共に、

王として行動する決意を固める。王の命令がない限り王師が動けない事をいい事に、

陽子は景麒の背に乗り反乱軍が王の意思である事を知らしめ、

王師に遠甫の救助と、呀峰と靖共を捕らえるよう勅命を出す。

王宮に戻った陽子は遠甫を三公(王の相談役。政治の実権はない)の筆頭・太師に、

鈴と祥瓊を自分の身の回りの世話をさせる役職に就け、桓魋を禁軍左将軍に、

桓魋の上司であり、官吏に言われるがまま追放を命じた後失踪

(護送中に靖共一派に襲われたところを桓魋らに救助され、身を隠していた)していた

麦州候・浩瀚を冢宰に命じ、

靖共派だろうが松塾(靖共らが敵視して焼き討ちした義塾。遠甫はそこの閭胥のような事をしていた。)出身だろうが関係なく個人だけをみる、と大規模な人事改革を宣言。

そして初勅として平時の伏礼を廃した。

(引用:Wikipedia)

 

 

感想

この作品は、人はどのように生きればいいのか?を考えさせる作品だと思う。

 

真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、

自然に頭がさがるものだ。礼とは心の中にあるものを表すためのもので、

形によって心を量るものではないだろう。 

 

確かに、忘れていたことだな、と。

この言葉に、祥瓊が楽俊に抱いた感謝を思い起こす。

祥瓊は、そのとき、本当に人に感謝をすることを覚える。

私たちは、それを見て、

自分自身が、さまざまな人に助けられて、

いまここに立っているんだと、はっと気付かされる。

自分一人でできるようになった気でいるけれど、

そんなことはないんだと感謝することができる。

 

祥瓊って知ってるだけなんだよなぁ

 

楽俊の言葉には、ものをよく知るということは、

どういうことなのかを言い当てていると思う。
知ってるだけ、ってことは実は多くないか?

それを、わたしは本当に知っているだろうかともう一度考えさせられた。

 

この作品には、始終、貧しさ、寒さ、ひもじさという辛い状況が描かれている。
そして、作中では、不幸に優劣はない、と言っている。
鈴が陥っていた不幸自慢、大変だった自慢は、

現代でも同じことが行われているように思えた。

不幸自慢は幸せ自慢くらい気持ちのいいことかもしれないと書いてあった時に、

なんだかとてもゾッとした。

たしかに、同じように気持ち良さを感じてはいないか...?と。

そんな気持ち悪い現象が起きていやしないか?と。

不幸じゃない部分をみて感謝をして生きて行かなくちゃいけないなあ。

 

誰かと比べたりして、雁字搦めになっていく祥瓊と鈴。
二人の慶王に対しての感情は、状況によって憎しみを抱いたり希望を抱いたりする。

憎しみを抱くときも、希望を抱く時も二人は本気でそう思っている姿を見ていると、

実は、感情なんてそんなものだろう、ということに思い当たる。

(2019.11.10にて読了)