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小山清『落穂拾い』 #心に残る一文たち

 

落穂拾ひ・聖アンデルセン (新潮文庫)

落穂拾ひ・聖アンデルセン (新潮文庫)

 

小山清

太宰治の徒弟として知られています。
1952年(昭和27年)に『新潮』発表の「落穂拾ひ」などのほかに、『文學界』に発表した「小さな町」を発表。
私小説で作家としての地位を確立しました。

心に残る一文

仄聞(そくぶん)するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。

仄聞とは、少し耳にはいること。人づてやうわさなどで聞くこと。

 

僕は出来れば早く年をとってしまいたい。すこし位腰が曲がったって仕方がない。僕はそのときあるいは鶏の雛を売って生計を立てているかも知れない。けれども年寄というものは必ずしも世の中の不如意を託っているとは限らないものである。

 

 

まだ若い人で、粗末な服装をしていて、不精ひげを生やした顔を寒風にさらしていた。微醺(びくん)をおびていることもあった。

微醺とは、ほんのりと酒に酔うこと。

 

それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持になる。その可憐な風情ふぜいが僕に、「お前も生きて行け。」と囁いてくれるのである。

 

 僕は外出から帰ってくると、門口の郵便箱をあけて見る。留守の間になにかいい便りが届いていはしまいかと思うのである。箱の中はいつも空しい。それでも僕はあけて見ずにはいられないのだ。

 

F君は僕に云ったのである。「稼いだらまた東京に帰ってきましょうね。」F君のそのなにげない言葉が、そのときの僕の結ぼれていた気持を、どんなに解き放してくれたことか。

 

けれどもその静かな生活のたたずまいの中にいる青年の無心なさまを眺めると、たとえば光りを浴び風にそよぐポプラの梢を仰いだときに僕の心の中でなにかがゆれるように、僕の心に伝わってくるものがある。

 

僕はうどんが煮える間を、米が炊ける間を大抵いつも詩集を繙く。小説なんかよりはこの方が勝手だから。こんな詩を見つけたりする。

夕日が傾き
村から日差しが消える時、
村から村へ暗がりを訴える
やさしい鐘の響が伝わってゆく。

まだ一つ、あの丘の上の鐘だけが
いつまでも黙っている。
だが今それは揺れ始める。
ああ、私のキルヒベルクの鐘が鳴っている。
        (マイヤア「鎮魂歌」高安国世訳)

この詩はまた僕の心を鎮めることにも役立つ。そして僕の心を遠く志したものに、はるかな希望に繋いでくれる。

 

その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間柄になれたなら、どんなにいいことだろう。

 

その人の生れつきの性質というものは、年をとっても損われずに残っていて、やはりその人をいちばんに伝えるものではないだろうか。殊に単純で素朴な人達の間では。僕にはお婆さんの顔が正直という徳で縁飾りをされているように見える。

 

僕はいまの人が忘れて顧みないような本をくりかえし読むのが好きだ。

 

僕にはとてもあの真似は出来ない。この俚諺はそのまま熨斗をつけて彼女に返上した方がいい。

登場文献

野鴨 (岩波文庫)

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青年 (新潮文庫)

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基督のまねび (1949年) (大思想選書)

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