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小山清『夕張の宿』 #心に残る一文たち

 

夕張の宿

夕張の宿

 

小山清

太宰治の徒弟として知られています。
1952年(昭和27年)に『新潮』発表の「落穂拾ひ」などのほかに、『文學界』に発表した「小さな町」を発表。
私小説で作家としての地位を確立しました。

概要

北海道夕張の硬い寒さのなかの人が寄り添う物語。
坑内雑夫をしている順吉が、痔ぢの手術をするために炭坑病院に入院する。その付き添いにきた、寡婦のおすぎとの触れ合いが描かれる。この物語は、何かが始まるでもなく、終わるでもないが、こういう時間をくぐりぬけていければいいのになあと思いました。
『落穂拾い』に登場するF君のエピソードでもあるのだろう。
F君を多角的に眺めている心持がした。そこにも『落穂拾い』にあるような、ひだまりのような温かい空気が漂っていて、始終、読んでいて心地よかった。

心に残る一文

「北海道は寒くていやでしょ。」
「ええ。はじめの年は寒かったな。でもことしは慣れたせいか、それほど寒いとは思いませんよ。」
 世の中はいやなことばかりではない。苦しいことのあとには楽しいことがある。諦める心は同時にまた期待する心である。順吉はそれを経験で知っていた。

 

「でも順さんもよくこんな炭坑なんかに来る気になりましたわね。」
「だってどうにもしようがなかったんですよ。あちこちに不義理だらけで。」
 と順吉は吐き出すように云った。自分の過去に対して疚しさといまいましさを同時に感ずることがある。 

 

順吉が仕事から帰ってきたときなど、トシを背負ったおすぎが寮の事務所の窓硝子を拭いていたり、また土間を掃除していたりすることがある。順吉がそばを通ると「ご苦労さま。」と声をかけたり、ときには「順さんはいま一番方ですか。」などと云ったりする。人柄というものはおかしなものでこんななんでもない挨拶が、云う人によってはひどく親身に聞かれるものである。

 

渡る世間に鬼はいないと云うが、順吉はいま自分がひどく果報者かほうもののような気がしている。人の住んでいるところには人と一緒に親切も住んでいる。そういう思いが順吉の心の中に一つの言葉になって浮かんできた。