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小山清『犬の生活』 ~心に残る一文~

概要

「私」が捨て犬・メリーと出会う物語。メリーは、妊娠していた。
子犬が産まれるまでの「私」の徒然日記である。

心に残る一文 

 私はその犬を飼うことにした。「神様が私にあなたのもとへゆけと告げたのです。あなたに見放されたら、私は途方に暮れてしまいます。」とその眼が訴えているように思われたので。またその眼はこうも云っているように思われた。「あなたはいつぞや石をぶつける子供達から、私を助けて下さったではないですか。」私には覚えのないことだが、しかし全然あり得ないことではない。

 

けれどもまた考えてみるに、私の過去は軽はずみの連続のようなもので、もはやそのことでは私は自分自身を深く咎とがめだてする気にもなれないのである。

 

私が上框(あがりがまち)に腰を下ろして口笛を鳴らすと、犬は私の足許に寄ってきて、いかにも満足そうに「ワンワン。」と二声吠えた。その様子は、「私達はもう他人じゃありませんね。」と云っているように見えた。

 

そして、こういう動物達の方が、人間よりも、神様のそば近くに暮らしているということが、よくわかる。

 

アンリー・ルッソーが在世ならば、彼にメリーの肖像画を描かせたい。ルッソーならば、メリーのいのちをそのままに画布の上に写すことが出来るだろう。

 

 お婆さんは、こんなふうに云う。
「メリーの相手をしているのが、いちばんいいですよ。ほかのお客様とですと、ついひとさまのかげ口をきくようになりましてね。」

 

メリーの顔と姿態はもはや私の心にしみついてしまっていた。人の子の親にとって、わが子の顔が絶対なものであることを、私はメリーをとおして学ぶことが出来た。
 そのことを私がお婆さんに告げると、お婆さんは云った。
「それは、あんた、情がうつるというものですよ。」

 

映画館のくらやみは、私にとっては居心地のいい場所の一つである。人込みの中に紛れ込んで、お互いに邪魔にもならず邪魔にもされずに、共にある一定の時間を過ごすことは、人間という群棲動物にとっては、やはり心やりの一つなのであろう。

心やりとは、ふさいだ気持ちを晴らすこと。憂さ晴らしのこと。

 

野口雨情もかつて武蔵野市に住んでいて、この井の頭は雨情が朝夕散歩をしていた処のようである。一昨年の秋だったか、池畔に雨情を偲ぶ碑が建てられた。碑面には雨情の作になる井の頭音頭の一節が刻んである。

  鳴いてさわいで
  日の暮れ頃は
  葦(よし)に行々子(よしきり)
  はなりやせぬ

野口雨情―郷愁の詩とわが生涯の真実 (人間の記録)

野口雨情―郷愁の詩とわが生涯の真実 (人間の記録)

 

 

一羽でいることは殆どない。いつも二羽連れ立っている。どちらがどちらとも判別しないが、雌雄しゆうなのかも知れない。
私は鳰の浮巣というのを見たいと思っているが、まだお目にかからない。

 

「噛みますとも。恐怖から。憎悪から。嫉妬から、愛情から。」
 いやに人間臭いことを云うなと私は思った。

 

けれども驚いたことには、彼は私に見つけられたことに対して、少しもひるむ色を見せなかった。反ってまざまざと嘲あざけりの色を満面に浮かべて私を見た。私はそのとき子供ながらにぞっとした。彼の眼色は私に対する悪意で燃えていたから。

 

私はそこにしゃがんで、メリーの頸を抱きよせ、その眼差しに見入りながら、自分の頭が妄想もうそうから洗われていくのを感じた。

 

登場文献

ブロマイド写真★『犬の生活』チャールズ・チャップリン/犬と座る